Friday, January 31, 2014

刺青とおもてなし

去年の秋頃、マオリ族の女性が刺青を理由に温泉の入浴を拒否されたというニュースが話題になっていましたが、それについて少し書きたいと思います。

まず、マオリの人々にとって「刺青」がどういった意味を持っているのか。マオリはニュージーランドの先住民族で、元来モコは成人の節目等の通過儀礼の際に彫られていたようです。現代でもただのファッションではなく、民族の文化や言語の復興運動の一環としての一面もある、シンボルのようなものらしいです。こういった背景を考えると、もしかしたらモコを刺青と呼称すること自体問題かもしれません。僕たちが言う「刺青」や「タトゥー」と本質的に違うというか。ちなみに、この記事で書いた博物館にはモコ専用の展示コーナーがありました。このことからもモコの重要性や特殊性が窺えます。

もちろん、大半の日本人がモコなんて聞いたことすらないでしょうし(自分も調べてみて初めて知りました)、それを一般常識として求めるのは理不尽だと思います。しかし、こういったバックグラウンドがあるのを知った上で、それに理解を一切示さないのは問題視されるべき行為です。


「刺青をしている人は温泉施設を利用できない」という文化が日本にはある。郷に入っては郷に従えの精神で、マオリ族の人は我慢するべきだ。

というような意見をネット上で目にしましたが、このロジックには疑問を覚えます。


刺青をしている人間を温泉にいれないというのは文化ではなく、単なる規則ではないでしょうか。上記のような歴史・社会・文化的意義をもったモコという伝統文化と、ただの規則(もちろん法律や規則を軽視して良いという訳ではありませんが、この刺青のルールに関してだけいえば本質をついていないというか、過剰規則の可能性もある雑なものではないでしょか。法的な面に関しては主に下記ツイートに同意します。)を同列に論じるのは問題があるように思えます。

もし、マオリの女性からモコの説明を受けたにもかかわらず「刺青はファッションだ」と言い張って切り捨てたんだとしたら、それは非難されるべき行為だと思います。繰り返しますが、モコの文化的背景を知らないのは当然ですし、それ自体悪いことではないでしょう。しかし、異なる文化の存在を認めようとせず、民族のアイデンティティともいえる伝統をぞんざいに扱われた人がどう感じるかを想像すらしない。記事だけでは詳しい状況などはわかりませんが、もしそういった事実があったのだとすれば許されるべきではないと思います。そういった姿勢は変えていくべきです。東京オリンピック開催が決まって「おもてなし」という言葉をよく耳にするようになりましたが、本当の意味で海外から来る人をもてなすには許容力や寛容性も必要だと思います。柔軟性ともいえるかもしれません。もっと単純な話、「郷に入っては郷に従え」って、郷に入る側の心構えとしては必要だと思いますが、郷側が声高に主張するのはどうかなと思います。



ただ、伝統文化だからといって、それが何事にも優先され、常に無条件で保護の対象になるべきようなものだとは思いません。ときには法律の力で廃止・規制することも必要でしょう。例えば、中東の児童婚やインドのカースト制度は確かに伝統文化かもしれませんが、人道的観点からみて問題があるので何らかの措置を取る事は正しいと思います。伝統というもの自体が社会的に作り上げられた概念であって絶対的な定義はないので、ケースバイケースということだと思います。

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Atsu 1st demo album "Shiva"
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Atsu
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